1.国士無双の日々(1979.3-8)


 1978年4月から卒業論文研究のために配属になった東京大学工学部合成化学科の吉川貞雄研究室は、昼こそ学究的な雰囲気に包まれる気鋭の研究室であったが、日が暮れるととたんに酒とギャンブル(残念ながら女っ気だけはなかった)が支配する魑魅魍魎の世界へと衣替えする、まことに居心地の良い研究室であった。
 卒論生として、はじめの頃こそチヤホヤされたものの、餌まきの段階を過ぎると狼たちが牙を剥き、襲いかかってくるようになった。そのような環境にあっても、私がどうにか命脈を保つことができたのは、日頃からの精進の賜物といえるだろう。
 卒業論文の研究は、やはり博士の最終年度を迎え、お忙しい中、献身的にご指導くださったM先輩のご尽力の結果、順調に成果を出すことができ、秋口には研究をまとめる目処も立つ状況となった。研究も大詰めに近づき、卒業論文発表会の練習も終了した3月はじめ、研究の打ち上げとM先輩の博士号取得のお祝いを兼ねた麻雀を先輩たちと正門前の「あづま」で打つことになった。
 その日は疲れの所為か全くツキがなく、最終半荘も大ラスを迎え、私のみ千点程度、他の3人は3万点ちょっとという、後から考えればお膳立ての整った、しかし当日の状況では狼の群に放たれた羊一匹といった状態であった。最後の配牌はまったくのくず手。とにかく大物を狙って、混一チャンタ系に手を染め上げていくこととした。ところがどうであろう。ツイテいないからか、端牌が怒濤のように押し寄せ、8順目には「北」待ちの国士無双をテンパイしてしまった。
 「北」はション牌、4枚も残っている。胸が高鳴るとともに、不吉な予感も脳裏をかすめた、まさにその時、上家のM先輩から「北」が切り出された。大恩あるM先輩からの捨て牌だ。一瞬躊躇する私の下家で、S先輩が「ポン」と甲高い声をあげた。その後の同順に「北」が出たらもうあがれなくなる。あがるしかない。私はつらい思いを振り切るように、しかし傍目にはポンよりも早く、大声でロンを宣言した。
 逆転でトップを奪った国士無双であったが、私の中でこのとき、2つの大きな変化が生じたと感じている。一つは、狼たちに襲われる純真な卒論生を無事卒業し、栄えある狼たちの仲間入りをさせていただいたということである。その意味で、あのロンの一瞬は、研究室の伝統がかようにして受け継がれていくのだということを体得した一瞬と言えるだろう。
 もう一つは、その後の端牌を中心とした手作りへの変化である。若さも手伝ってか、その夏の2ケ月間に国士無双を7回もあがることができ、無事、狼の大任を果たすことができた。13面待ち、暗カンロンなど一通り達成できたのも、このときの経験の賜物と感じている。


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