1.神宮球場を巨体が跳んだ日(1978.10.4)
その日は朝から妙に落ち着かなかったのを覚えている。長年応援してきたスワローズが球団創設以来29年目にして初めてのリーグ優勝をかけて、中日と戦うのである。スワきちにとっては落ち着かないのも無理からぬことであったが、今日決まるという確信にも似た感覚があったことも記憶している。
妙な1年であった。開幕ダッシュに成功した燕軍団は、例年ならば夏になるころには下位へと沈んでいくのであるが、なかなか優勝争いから脱落しなかったのである。とはいっても、絶対の優勝候補である巨人とは常に3ゲーム差程度であり、恐くて一度も球場に足を運ぶことができなかった。9月17日にあった仙台での広島戦でマジックナンバーを点灯し、夢にまで見た優勝が近づくと、高揚感が徐々にではあるが全身を包んできた。前日にマジックを1とした昭和53年10月4日。この日は、その高揚感が最高潮に達した日でもあった。
当時、卒論生であった私は大学に寄った後、昼過ぎに神宮球場へと一人で向かった。研究室には無断であったが、研究と初優勝を比較すれば、どちらが重要であるかはわかり切ったことであろう。神宮球場の外野席の当日券売り場には2番目に並んだ。前には今の私ぐらいの年齢であろうか、スワローズの帽子をかぶった紳士が立っていた。「いよいよだね」と紳士。「いよいよですね」と私。ともにそれまでの燕軍団の話で、入場まで盛り上がったことは言うまでもない。「外野で見るならここしかないよ。」と紳士が教えてくれた場所を目指してライト側に駆け込み、言われた通りの外野最前列に紳士と私の2人分の席を確保した。
先発はエース松岡弘。外野席の最前列に陣取り、練習から観戦。燕軍団の動きがいい。マニエル、大杉、若松、大矢、杉浦、水谷、ヒルトン、船田。皆、調子がよさそうだ。いける。きっとやってくれる。本日優勝の確信がどんどん深まってゆく。プレイボール!松岡の調子もいい。危な気のない立ち上がりだ。ふと振り返ると外野の後方3割は空席である。当時の燕軍団は残念ではあるが、人気がなかった。おそらく神宮球場でスワローズファンが多数派であったのは大洋戦だけではなかったか。ホームグラウンドでさえそうなのであるから、当時、随分とつらい試合を燕軍団は戦ってきたのである。
試合での燕軍団は実にはつらつとしていた。初回に4点、2回に3点、次々と得点を重ね、5回を終ったときには、8点差。もう優勝は間違いない。球場全体が何ともいえない熱気を帯びてきて、興奮のためか、応援団長の岡田さんなどは涙ぐんでさえいた。いや、涙ぐんでいたのは岡田さんだけではなかった。万歳は繰り返され、ドラや太鼓はうちならされ、旗はうち振られ、応援団は声を張り上げ、いたるところでそれらが無秩序に繰り広げられ、わけのわからない状況になってきた。再び振り返ると、後方に空席はなく、満場総立ち状態であった。おそらくは、全国のスワきちどもがラジオを聴いて駆けつけてきたのであろう。
燕軍団の最後の攻撃も終了し、残るは中日の9回の攻撃だけになった。9−0である。松岡が構える瞬間の静寂と、それに続く喚声。ふと気がつくと無秩序であった場内の意思という意思が統一され、うねりとなって球場を駆け巡っていた。松岡の手や足が指揮棒となって、場内の一人一人を操ってゆく、そんな感じであった。ワンナウト。あと二人コールが場内を包みこむ。しかしヒットで1塁に走者が出た。一瞬の静寂。振り返ると後方にはまた空席ができていた。後方の人たちが球場内への突入に備えて前に降りてきたのであった。
1アウトでランナー1塁。ここで最後の打球が1−2塁間に転がる。セカンドのヒルトンのグラブに吸い込まれた白球は、2塁に入った水谷にわたる。2アウト。そして、待ちに待った一瞬。水谷から送られた白球が1塁にとぶ。大杉のミットに入るが早いか、その瞬間、私の体は夜空に跳び上がり、神宮球場の塀を越えて球場の中へと吸い込まれていた。色とりどりのテープが投げ込まれる下を、夢中で内野に向かう。松岡と大矢が抱き合う。胴上げが目前に迫る。宙に舞う広岡監督の上下する姿が、徐々にぼんやりとにじんでくる。身体中の血液が沸騰し、目から溢れ出た熱いたぎりがほほを伝わって落ちる。優勝だ。涙と絶叫と熱気。身体中のいたるところからあらゆるものが吹き出してくる。いつまでもいつまでも吹き出してくる。そうなりながら、まるで夢と現実の狭間をさまようように、球場の中を徘徊し続けた。
ややあって、外野席に戻された。その頃にはほんの少しではあるが冷静さを取り戻した。広岡監督のインタビューもあった。「相変わらず冷静だねえ。」と誰かがつぶやいたその一言で、また一歩、現実の世界に引き戻されたことを覚えている。拍手と喚声の中、誰からともなく、東京音頭を歌い出した。すると、ひとり、またひとりと加わる人が続き、終いには場内に残った人すべてが、肩と肩を組んで歌い出した。選手たちは祝賀会場に向かうため、一人一人と球場を後にしていったが、その姿を見送りながらも、途切れることなく神宮の空には東京音頭がこだましていた。カクテル光線が一つ一つ消えていった。夜空に見える星の数も増えてきた。そして最後には球場全体が闇に包まれた。その闇の中、スワきちたちの輪の中に、そして神宮の森の中に、東京音頭を歌う声がいつまでもいつまでもこだました。
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