5.それでもノムさんは偉大だ(1994)
V3を目指す平成6年の我が燕軍団は、開幕後の猛虎軍団戦を連勝し、幸先の良いスタートを切ったのも束の間、4試合目に守護神の古田を骨折で失い、そのためか開幕ダッシュができず、かろうじてAクラスを確保するも勝率5割前後を行き来する展開となった。5ゲーム差以内を維持してきた5月を過ぎると巨人が走り始め、燕軍団との差は開く一方となった。
智将ノムさんの努力の甲斐なく、7月に8勝12敗、8月に11勝13敗と2月続けて負け越し、一気に最下位に沈むこととなったが、首位巨人がもたつき始めたため、燕軍団にも差を縮めるチャンスが訪れた。しかし、返す返すも惜しかったのは9月はじめの12試合で3勝しかできなかったことであり、その後、勝ち運に乗った昇竜軍団と巨人がデッドヒートを繰り広げるのを黙って見守ることしかできなかった。そんな燕軍団も、終盤の10試合を7勝3敗で締めくくり、何とか最下位を免れ4位で全日程を終えることとなった。
この年の最終結果を見ると優勝した巨人が70勝60敗、最下位の横浜でも61勝69敗という燕軍団が猛虎軍を振り切った一昨年と同様の大接戦であった。燕軍団はV3の好機を逃したことになるが、よく4位にしたというのが偽らざる感想である。この年の燕軍団のチーム打率はセリーグ最下位、防御率は5位である上、特筆すべきはセリーグ6球団中唯一、得失点差がマイナスであったのだ。
各球団の得失点差、(得点、失点)を順位順に記すと、巨人+33(516,483)、昇竜軍団+54(535,481)、鯉軍団+1(585,584)、燕軍団−99(486,585)、猛虎軍団+3(503,500)、横浜軍団+8(543,535)となる。得失点差が大きい2チームが上位に来ているが、燕軍団が4位にいるのが不思議なくらいである。やはりノムさんは智将であった。
全日程終了後、燕軍団を支えてきた広沢とハウエルがよりによって最も忌み嫌う巨人に持って行かれた。名門だかなんだか分からないが、燕軍団を弱体化させる目的としか思えない。随分とあこぎなまねをする球団だ。金田が奪われた時も悲しかったが、2回の打点王に輝き、球団を背負って立つCMにも登場した広沢。将来の広沢監督を期待していたのは私ばかりではないだろう。その広沢を失うことになるとは、この悲しみを表す言葉が見つからない。
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