9611- ピオ | ||
学生時代にイタリア人の友だちと一緒に暮らしたことがある. ある日のこと,日本人の親友から電話がかかってきた.これからイタリア人の友だちと二人で僕のところへ転がり込みにくるという.それからが,たいへんだった.なにしろ僕の借りていた部屋は六畳一間で風呂もついていない.そこに男が三人で暮らし始めたのである.イタリア人の彼はいたって陽気で元気がよく,夜な夜な電話をローマにかけては,日本にきたイタリアサッカーチームの試合での様子なんかをレポートしたりしている.イタリア語では「もしもし」を「プロント,プロント」というのだが,夜中に大声でこれをやられるのにはまいった.留学にきたついでにむこうのスポーツ新聞の特派員としても東京にやってきたのである.大学院の学生だった日本人の友人も僕の下宿を基地にして,あるコンピュータ会社の小型携帯自動翻訳機のビジネスをまとめるため下宿とカリフォルニアを行ったり来たり.東京という都市のなかにある極小スペースで国際的な活動が行われていたのだった. イタリア人の彼とはその3年前にモスクワの空港で知り合いになった.バックパックとギターをかつぎ世界旅行をしていた彼と僕たちは同じ年のうまれで,ビートルズの歌など共通に知っていることも多く,すぐ意気統合して仲良くなったのである.帰国途上だった僕たちと一緒に日本にやってきた彼は極東の経済大国にとても関心をもち,いったんローマにもどって猛勉強.日本語を覚えて奨学金をとり,再び来日した.自分たちはこれからどうしていくべきかとか,世界はこれからどうなっていくかなどということをとりとめもなく毎晩のように僕たちは議論していた. イタリア人の彼は後に国際的なジャーナリストとしてアジア地域で大活躍.有楽町の外国人記者クラブの名物記者となり,数年前ローマへと帰っていった.僕は建築家になり,日本人の友人はエンジニアとなり世界各地でプラントを作っている.六畳一間の国際交流.このうえなく日常的で小さなスペースもドラマの舞台になるときがある. |
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