9702- マニラ  
 

もうだいぶ前のことになるが,マニラのスラム(環境が良好ではない居住地域)で暴漢に襲われたことがある.写真を撮っていたところ,突然,若いふたりの男たちが襲いかかってきたのである.まわりにはたくさんの人たちが見ていたけれど誰も助けてくれない.こちらの武器といえばカメラだけしかない.殴りかかってくる男たちの拳をカメラでふりはらいなんとか逃げた.被害はいっしょにいた先輩の腕時計がひきちぎられて手首を怪我をしただけですんだ.あとで地元の人に聞いたところ「それはラッキーだったね」といわれた.そういう連中はナイフやときには拳銃をもっていて襲うこともあるという.少しでも良好な居住環境をつくっていくための基礎データを集めている調査中のできごとではあったけれど,僕たちも不注意だった.当時僕たちのもっていた一眼レフのカメラは,地元の人が2年間たっぷり働いて稼げる金額と同じ値段だったのである.僕がもしそこに生まれた若者であったならば,ノンキに写真を撮っている日本人などからはちょいとカメラを失敬したくなるに違いない.暴力は良くないけれど.
マニラの巨大なスラムは,人口が数万人から十万人という規模で人が集まり暮らしているのだから,都市内の巨大な村落ということができる.地方の村々から都市に職を求めて集まった人々が自然発生的に住みはじめてできたもので,上下水道や電気などの基本的なインフラも整わない場所に廃材などを利用して自力でバラックをつくり家族や郷土の仲間と暮らしているのである.衛生状態とか治安のことがあれこれいわれているが,そこで暮らす人々にとっては都市で生きるための情報を交換したり仲間でたがいに助けあったり,コミュニティとして大切な役割を果たしている.見た目の粗雑さや部外者への厳しい態度とは違い,暖かく人情味ある生活のための共同体なのである.集まって暮らす都市の原形をそこに見て取ることができる.たとえば,フィリピンの大多数の人々は自分の家で家族や仲間といっしょに暮らし安心して年老いて安心してあの世にいくという.対して,現在日本では多くの人が年取っていくことに不安を感じて暮らしている.
金持ちになるのと引き替えに日本の都市が失ってきた大切なものが,かの地にはある.