9705- KLのようにゆっくりと | ||
東京では人がとても速く歩く.僕は生まれてからこのかた東京に暮らしてきたので,よそからきた人にそうにいわれても実感としてよくわからなかった.とはいうものの,最近僕は意識的にゆっくり歩くことを試みている.一歩一歩左右の足をかかとからゆっくりおろして靴の底で地面をしっかりとらえながら歩くのである.向こうに見える横断歩道の信号が黄色から赤に変わりそうでも走らないようにする.約束の時間に遅れそうなときでも発車間際の電車をおいかけて駅の階段を駆け上ったりしない.そうすると長い信号を1回待つことになったり,目の前で電車の扉がしまってから次の電車がくるまで数分から十数分の時間ができる.交差点などで立ち止まっている人たちの表情や着ているものを眺めたり,走る自動車のことを見てそのわずかな時間を過ごすことができる.これがなかなかよい.早足になったり駆け出して急いだとしても気があせるばかりであまりよいことはない.わずかな時間でも,急いでいればいるほど,ゆっくり落ち着いて街を眺めるとなにか気持ちにもゆとりができる. 時間を追いかけて目的地に移動することだけに懸命になっていると,いろいろなものが見えなくなる.道を歩くときもゆっくり歩くと,これまで気がつかなかったようなことが見えてくる.たとえば,街にはお年寄りがたくさん歩いている.子供や犬や猫もいる.そのスピードはゆっくりで高速で流れている都市のスピードとはちがう位相をもっている.自分もゆっくり歩くことで自動車や電車がひっきりなしに動く都市のスピードとは違う変化が感じられるのである.いろいろな異なる速度で変化するものが合成された動きを「ゆらぎ」という.高速で動く都市をゆっくり移動すると,比喩的にいえば「都市のゆらぎ」が見えてくるのである. 急速に発展している都市クアラルンプールを訪れて以来,僕は東京をゆっくり歩いて見ようと思ったのだった.元気とスピード感のあるかの地では皆ゆっくり歩いている.それがとても心地よく感じられたのである.都市の中にいろいろなスピードとテンポがうまく織り込まれるとき,東京はもっと魅力をましていくにちがいない. |
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