10月12日宇野研究室に伊東豊雄先生をお招きしてレクチャーをして頂き、 その後、ディスカッションを行いました。
テーマは私たちが日頃感じている疑問点をもとに、  ”建築は触媒か?界面活性剤か?”と設定しました。
触媒としての建築:建築自身は変化せず、それがあることによって周りの
         住民の生活や人の関わり方を変化させていく。
界面活性剤としての建築;建築を介在させることによって周辺住民の生活や
            人の関わり方が変わり、それが変化することによ
            って建築にまた新たなプログラムをもたらす。
■伊東先生のレクチャー/Q&A
 せんだいメディアテーク〜UNDER CONSTRUCTION〜
■21世紀型の公共建築のプロトタイプの提案
 ・役所、審査員団、利用者団体、建築家による議論
   →設計の段階から、現在まで続く
     ”建築ができたような気がしない最初からこの建築は使われていた”
   ←ボランティアによる委員会が自然発生    
 ・すべてが曖昧なまま(全体像が分からないまま)設計が進行
     ”分かっていることを分かっているようにやるのなら、おもしろい事、新しいことはできない。             手探りでやっていくからおもしろいし、新しい ”
■建築家のスタンス
 ・アドバイザーとしてこれからも関わっていく
 ・審査員団と利用者団体とのギャップにブリッジを架ける
     ”公共建築をようやくここまで引きずり込むことができた”
■ - CONCEPT〜REALITY -
    ”透明な建築を創りたいというわけではない、境界がないのが理想である”
    →コンセプトモデル(初期)で表現
 ・現実のモノのもつ重み、生々しさ
  →軽快な初期スケッチと現実の鉄とのギャップ
  ”建築-どこかから始まってどこかで終わるというものではない。ひょっ
   としたら生きているものではないか?”
  ”建築は変わり続けるかもしれない。”
■建築家とユーザーとの関係
 ・建築家は何かが生まれてくるものをつくらなければいけない
 ・建築をどこの域まで考えられるのかが問題
  ”プログラムにまで踏み込まないとつまらない”  
■住宅について
  ”住宅の壁も薄くなっている”
   →・情報・モノ(情報に伴う)が影響
    ・アクティビティの複雑化
     →機能だけでは抽出できない
  ”今までのアーキタイプがなくなっていく”
  ”境界が失われ、壁というものがなくなっていく”
  
■透明性と身体
 ・新宿は20年前に比べるとはるかに透明度が高い
  →情報、アクティビティ
  ”社会が透明だから建築も透明になっていく”
    透明度の高い「社会」から    →透明度の高い「空間」へ

■私たちは事前の勉強会で以下の本を読みました。

 

 「透層する建築」伊東豊雄/青土社 2000.10