(本稿は特集「新指導要領導入と理数系教育を思う」の一編として掲載されました。誌上では標題が著者に断りなく「教科内容の削減は社会の要請」と変更されています。)

雑感

教科内容が削減された新指導要領の報道に接し、感じたことを列挙させていただく。
@教科内容の削減は社会の要請であった。
 その昔、「落ちこぼれ」が重大な社会問題となった。当時の教育は知識の詰め込みばかりで考える能力が開発されないとの批判も渦巻いた。教科内容の削減によりハードルを低くして「落ちこぼれ」をなくし、学生に考えるゆとりを持たせる改革は時代の要請であった。ハードル低下の論理的帰結として「落ちこぼれ」は減ったであろう。学生の知識が減ったとの報道もある。「詰め込み教育」に対しても改革は成功したのである。
A教科内容はすぐには増やせない。
 小学校の教科内容を削減したら、引き継ぐ中学の教科内容も下げざるを得ない。中学と高校間でも同様である。報道されないが、中学や高校の教科内容の削減は小学校の教科内容を定めたはるか昔に決まっていたのである。学生の知識習得速度も、すぐには速められない。熱いうちに打たれていない鉄は脆弱なのだから。
Bすべては年次進行である。
10年ほど前、中学で驚きの声が上がった。その数年後には高校で、また今から数年前には大学でも大騒ぎした。そして今、社会が騒いでいる。ついに社会にまで改革の影響が及んだのである。現在小学校から高校まで実に12年分の学生たちが教科内容を徐々に削減されたプログラムにしたがって教育を受けている。変化はまだ始まったばかり。これからが本番である。今の小学1年生が博士課程を修了するまでに21年を要する。私の定年は20年後である。大学に研究室をもつ私にとって事態はことのほか深刻である。
Cまだ何も証明されていない。
ノーベル化学賞の連続受賞や我が国の発展を評価するならば、「詰め込み教育」にも一利があったというべきだろう。前述の批判は時期尚早ではなかったか。同様に教科内容を削減した「ゆとり教育」に対して断を下すのも早過ぎる。まだこの教育を受けた世代が我が国の中枢を担うまでには至っていないのだから。「ゆとり教育」の利はこれから証明されていく。ただ、この改革を主導した方々はその?末を知ることなく天寿を全うしてしまうだろう。
Dみな踊らされている。
上記「社会」の実体はマスコミである。改革を主導した黒幕である。財テクのときもしかり。扇動し、やらせておいて、批判する。証明も検証もないままに。

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