「軽・薄・短・小」は忙しい

 今の世の中、軽・薄・短・小なんだそうである。身長180cm、体重90kgの巨体で、おっとり気が長い当方にとってはいささか居心地の悪い御時世ということになる。いやはや。これでは筆調も自ずと批判調になろうというものだが、工学部に在籍する者らしく、ここは客観的に軽・薄・短・小と工学の関係について考察してみよう。
 軽・薄・短・小とはそれぞれ人間・人情・人生・人物を指すという俗説もあるそうだが、工学技術の進歩により微小・微細・高速化した工業製品の出現にひっかけて、とかく小さくまとまりたがる、あるいはまとめたがる世相を風刺した表現といったところであろう。(もちろん日本の工業界に占めるいわゆる重・厚・長・大型産業の比率が低下したとの認識が発端であろうが。)世相はともかく工学技術の進歩はめざましく、液晶テレビ、8ミリビデオ、電卓等周囲のものがどんどん小さくなり、おまけに住居まで小さくなり、まことに肩身が狭い昨今である。
 当方の専門である分析化学でもfg(0.000000000000001g)の検出、pptの稀薄溶液の定量、ピコ秒(0.000000000001秒)時間分解分析、オングストローム領域の局所分析等、高度に軽・薄・短・小化している。これらの技術は各種計測機器の性能向上に負うところが大きい。ワンタッチで測定を行い、瞬時に実験データを吐き出してくる装置類を見ていると、忙しい世の中になったものだと思う。各種工学技術の進歩は、着想からデータ取得までの時間を飛躍的に短くしたと言える。
 かくして研究のライフタイムは確実に短くなっている。今日、研究室に入り1年間全く論文を書かないと言うのは不勤勉以外の何物でもない。次から次へ出て来るデータを短時間で処理し、論文に仕立て上げることが要求されている。そのため論文が軽・薄・短・小化しているという議論すらある。確かに最近の論文は当方の論文を持ち出すまでもなくそうらしい。
 各種技術が進歩し、知識が蓄積されたため、個人が研究を行う分野が細分化され、その結果として研究が軽・薄・短・小化している面もあるだろう。しかし問題はむしろ人間の方にあると思う。教育技術の進歩はあっても、人間は機器類程には性能が向上していないだろう。実験データの取得速度が上がったことにより、人間の能率まで上がったかのように錯覚していないだろうか。工学における着想、理学における洞察は、依然、費やした時間を反映して磨き上げられるのだと思う。忙しい現代の研究者は、考えるという作業を怠っているように思えてならない。
 しかしである。その作業とても人工知能技術によってはるかに高速化できるそうである。いやはや。何とも居心地の悪い御時世だ。

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