工学と理学

 工学部の中でも、とりわけ応用化学科所属の研究者としては、「工学」と「理学」の違いを常日頃から意識せざるをえない。応用化学科は、物質を原子、分子レベルで設計・加工・評価する技術の開発を担当しているが、原子・分子の世界では、未解明の現象も未だ多く、意外な発見に遭遇する機会も多い。そのため、行われている研究が、時として極めて理学的に見える場合があるからである。「工学論」という重過ぎるテーマではあるが、雑文を寄稿する機会を提供していただいたので、「工学」と「理学」の関係について、自分なりの考えをまとめてみることとした。若輩者であるため、内容の粗はご容赦願いたい。
 教養学部での総合科目(計測化学序論)を担当して3年になる。その講義のはじめに必ず訊ねることがある。工学部と理学部の違いである。いくつか回答例をあげると、「理学部は頭を、工学部は手足を使うところ」、「理学部が考え、工学部が実現する」、「工学部は役に立つこと、理学部は役に立たないことを研究する」、「工学部は就職がいいが、理学部は悪い」などなど。理学部を先にあげた、前の2名は理学部シンパ、その他は工学部シンパといったところであろうか。言葉は辛らつだが、教養学部生が両者に抱いているイメージは何となく分かる。一方、本郷の教官に訊ねると、社会との関わり方の違いを強調する意見が多い。
 ところで工学部では頭を使わないのであろうか。そして理学部の研究は役に立たないのであろうか。否、そうではあるまい。理学が生み出す原理は、工学により社会へと還元されていく。理学の研究が役に立たないのではない。また、理学の成果を社会に還元するためには、豊富な知識、優れた着想、的確な判断力が必要である。頭を使わぬはずがない。工学と理学。何がどう違うのか。私見ではあるが、比較してみる。
 工学の研究は、目的意識がはっきりしているのが特徴であり、目標は発明 (Invention)である。高性能のセンサー、特殊な機能を持つ材料など、具体的な目的があり、それを実現するために想を練ることから工学の研究は始まると言ってよい。さらに着想を具体化する設計の段階を経て、制作に着手する。そして、試作品の動作確認と性能評価を行い、その結果に基づき、改良のために設計をやり直す。各段階で多くの工夫が編み出され、盛り込まれていく。着想にはじまり、設計・制作・評価を繰り返し、そのサイクルの中で工夫を凝らし、製品を、そして技術を高度化していくのが工学の研究である。まさしく工学は創意と工夫と言えよう。工学の研究では、とりわけ発想が重要である。独創的な発想があって、はじめて発明と言える。豊かな発想により、想像もできないものを実現するのが、優れた工学の研究者と言えよう。
 一方、理学の研究は新発見 (Discovery)が目標であるように思う。未知の現象、原理、あるいは生命体を発見するために、理学の研究者は人跡未踏の僻地を探検したり、超高圧・極低温などの極限条件での実験を繰り返すのであろう。優れた理学の研究者は他の研究者がなしえない実験を行える、優れた技術者としての側面があり、また、それ故に新しい現象にも遭遇することができるのであろう。そして、実験結果をよく見る観察力と、現象を支配する原理を見抜く力、洞察力が、必要なのであろう。
 工学は発明、理学は発見を目標とし、そして工学は如何にして実現するかを考え、理学は何故そうなるのかを探究する。極論すれば「HOWの工学、WHYの理学」である。それでは工学と理学の関係はどうであろうか。工学に必要な発想は、力学、電磁気学、量子論などの豊富な知識から生まれ、もまれて技術へと昇華する。基になる知識は理学の成果である。一方、理学の研究は多くの技術や機器により支えられている。これらは工学の成果である。新原理は新技術を生み、新技術は新原理を生む。工学と理学はお互いに助け合い、進歩すると言えよう。
 工学は創意と工夫、理学は分析と探究。それぞれ、目的、手法は違っても、お互いを補完、強化する関係にある。その時々で速度の差こそあれ、工学と理学の調和ある発展を通して、科学は進歩する。工学は創意と工夫。豊富な知識と斬新な発想が工学を支えている。こうして見ると、より頭を使うのはむしろ工学の研究かも知れない。進学してきた皆さんが「シマッタ!」と思わぬことを祈らずにはいられない。

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