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研究概要

構造水の意義

田所研究室では「構造水」と呼ばれる、ある固体物質と溶液の固-液界面の境界領域にある水について、その詳細な性質やクラスターに由来する構造に関する研究を行っています。「構造水」は接した固体表面の親水性や疎水性などの性質により、その性質や構造を劇的に変化させることが知られています。例えば、疎水性の物質界面に接した水分子は、分光学的あるいは熱力学的に界面で強い水素結合構造体 (ice berg)を作ることが理論科学的に予想されていますが、分子レベルではどのようなクラスター構造をもつのか実験的に証明されていません。ここでは、私たちが知らない水の本質的な機能性に関わっていると考えられる「構造水」について、いくつかの研究例を紹介します。


融解状態の水分子クラスターの構造

私たちは水というものを水クラスター的に捉えています。理論化学で用いられているランダム配向モデルでは、水は常にH2Oとして個々が運動しており、ランダム運動しているものとして取り扱われます。これは非常に短い時間の世界の話であり、ある一瞬での水の構造は5つのH2Oの正四面体的な水素結合を基本とする構造が考えられています。私たちは全てのH2Oが界面の影響をもつ親水性ナノチャネル細孔に水を導入した場合、通常とは異なった振る舞いをすることを見出しています。もちろん、ランダム配向モデルでは水の構造という概念はなく、水を構造化すること自体があり得ないことでもあります。H2Oがちょうど5分子の3層の水素結合構造をもつ大きさ (〜1.6 nm) の親水性1次元ナノチャネル単結晶へH2Oを閉じ込めることに成功しました。X線結晶構造解析という1点1点の測定は10–18 sと非常に速い測定であるが、これを数時間単位で平均化した測定法から閉じ込めた水分子クラスターの構造をみると、融解状態の水の構造なのに、その水クラスター構造が確認されました。これはチャネル内部で盛んに運動しているH2Oが、外壁の親水性官能基との水素結合によって滞在時間が部分的に長くなり、これを長時間測定した結果、水のクラスター構造が現れたものと考えられます。しかも、3層の水素結合構造に渡って観測することに成功しました。おそらく、外壁の親水性基によって水素結合されたH2Oが、さらに第2層と第3層目のH2Oとの水素結合を誘起して構造を形成しているものと考えられます。この融解状態の水分子クラスターに対して、凍結状態の水分子クラスターの構造も解析したところ、驚くべきことに、凍結状態と融解状態の水分子クラスターの構造は異なっており、融解状態の水分子クラスターにも構造があることが明らかになりました。

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親水性と疎水性ナノ細孔の水、エンタティック状態の水

親水性および疎水性のナノチャネル細孔中の水の中心付近では、通常の氷にみられる正四面体の安定な水素結合構造をとりにくく、「エンタティック状態」と呼ばれる異常な歪みを受けた水素結合を形成します。親水性ナノ細孔の外壁では、親水性官能基によって、H2Oがピンポイントで水素結合されて水分子クラスター(Water molecular cluster: WMC)が構造化され、第1の構造水層を形成します(図A)。そのため、次に水素結合した第2水和層のH2Oは、第1層のH2Oを起点として正四面体の水素結合に強制されます。しかし、第3水和層のH2Oは、ほぼナノ細孔の中心にあり、安定な水素結合をとることができません。この第3層目のH2Oが、エンタティックな状態であり、親水性ナノ細孔の水の異常な物性を引き起こすのです。一方、カーボンナノチューブ(CN)のような疎水性ナノ細孔の水は、グラファイトのような芳香族炭素骨格から作られた壁面と強く水素結合しません(図B)。すなわち、疎水性ナノ細孔の水は、CNの疎水性壁面とOH···πあるいはOH···Cなどの弱い水素結合やファンデルワールス接触が優先されます。そのため、H2O同士の分子間OH···O水素結合がより強固になり、界面に沿った準2次元的な水素結合ネットワークを発達させることになります。親水性のナノ細孔の水は、外壁の官能基とのピンポイントな水素結合により、一定の間隔で周期的なWMCを安定化しています。この構造水はタンパク表面の吸着水のように壁面との水素結合によって動きが制限され、WMCの中心に行くほど動きやすい傾向にある一方で、疎水性壁面でもH2O同士の水素結合で構造化されていますが、壁面との相互作用は弱く、巨大な1つのWMCとして存在し、動きやすくなっています。

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分子性1次元ナノ多孔質結晶の形成と細孔内のWNTに関する研究

我々が合成した水素結合型錯体[MIII(H2bim)3](TMA)は、[MIII(H2bim)3]3+と[TMA]3–がNH···Nの相補的なイオン結合型水素結合を連結させることにより組み上がった、キラルな二次元ハニカムシートを構築します。この [TMA]3– はグルタミン酸のようなアミノ酸残基にみられる–COO–官能基を含み、これらは水分子と強い水素結合の親和性を有しています。これらキラルな二つのシートが交互に積み重なることによって、ラセミ混合物として一次元ナノチャネル構造を形成しています。この分子性一次元ナノ多孔質結晶のナノ空孔内(直径約1.6 nm程度)はすべて水分子で満たされており、室温のX線結晶構造解析から、空孔内の水分子クラスターが構造化されていることが分かりました “WNT (Water Nanotube)” 。すなわち、各水分子のO原子の電子密度は、温度因子が比較的大きいにも関わらず局在化し、そのおおまかな位置を特定することが可能でした。TG(熱重量分析)の分析結果も合わせると、1つのシートの単位空孔内に取り込まれている水分子は20個であると推定され、空孔の体積率は全体積の63% にもなることが分かりました。DSC(示差熱分析)測定によって空孔内に存在する水分子の相転移挙動を確認すると、凝固から融解への1次相転移を約–30˚Cに観測しました。この転移温度以下で凝固した “Ice-Nanotube(INT)”のX線結晶構造解析を行った結果、この氷化現象は、多孔質骨格の変化をほとんど伴わずに、WNTの内部構造がクラスター化することによってc軸方向に3倍のびており、60個の水分子の繰り返し単位からなるINTのクラスターを形成していることが明らかとなりました。WNTもINTも外壁に直接水素結合した水分子を第1水和圏とすると水素結合の3層構造をとっており、全体的に高い温度因子をもつ中で、WNTの壁面と水素結合した第1水和圏の水分子は低い値を保っていました。しかし、中心部の第2・第3水和圏は、より大きな温度因子をもち、この第2水和圏は水分子のみの水素結合によって囲まれているため、室温でも溶解していない氷(室温氷)と言えます。さらに、第3水和圏は激しいディスオーダーのため、並進運動を起こした水分子が存在しているものと考えられます。このように、本研究では親水性ナノチャネル内に存在する水分子クラスターの特異的な挙動について明らかにしました。

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水分子フィルターによる超純水の単離

有名なメタセコイアは 〜150 m もの巨木に成長しますが、この巨木の高さにH2Oを送るメカニズムは未だはっきりと分かっておらず、植物の道管を通して150 mまでH2Oを送水しなければならないにもかかわらず、単に毛管現象や根から水を引く根圧だけでは説明することができません。大気圧の真空の管の中では、Hg柱が大気圧と釣り合う76 cmまでしかあげることができませんが、素焼きのポットの蒸散力を使って水柱を利用してHg柱を引くと76 cmよりも高くあげることが可能となります。このように巨木は根から葉までの道管を満たしたH2Oの連続的な水柱が存在し、蒸散力や根圧で送水していると言われています。本研究では、分子性ナノ多孔質結晶を用いた蒸散実験により、蒸散とエンタティックな水との関連性について研究しました。青色単結晶として得られるナノ多孔質結晶 {[Ni(cyclam)] 3(TMA)2·34~35 H2O}n (1;cyclam: 1,4,8,11-tetraazacyclotetradecane, TMA: trimesate) は、ab面に沿ってカゴメ格子に配列した[Ni(cyclam)]2+の層とTMA3–の層が交互に水素結合によってc軸方向に積層することで、準1次元ナノチャネル細孔を形成しています。私たちは結晶1の3.0 × 3.0 × 10.0 mm3の単結晶を作成し、セルを組み上げて蒸散実験を行いました。結晶化を行った電解質水溶液に流動パラフィンで3 mmほどの仕切りを作ることでH2Oの蒸発を防ぎながら、このセル中に単結晶を貫通させて上部は空気中に下部は水溶液中に浸かるようにセルを作成しました。すると、2400時間後には0.6 cm3 (2.3×1015個のH2O数)の水溶液面の減少を記録したのに対し(赤色四角)、結晶を貫通していないものの水溶液面は全く減少しませんでした(青色菱形)。結晶構造解析によって得られた1つのナノチャネル空孔あたりの大きさ、18.4×18.4 Å2 (3.4×10–12 mm2)を用いて計算すると、1つのナノチャネルから1秒あたり900個のH2Oが蒸散されていることが分かりました。このように結晶1は、塩類が解けている電解質溶液からH2Oを選択的に蒸散する機能性を有していることが明らかとなりました。結晶1のナノ細孔の中では構造化されたH2Oが、1次元単分子H2Oのエンタティック状態にある領域を作り出し、“水膜”の形で塩の侵入を防ぐことによって、H2Oのみを室温で蒸散しているものと考えられます。エンタティック状態にあるH2Oは、非常に蒸発しやすく僅かな熱で蒸発することができるという特徴に起因しています。

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水分子クラスターのプロトン伝導

〜1.6 nmの直径をもつ親水性1次元ナノ多孔質結晶の中に巨大なチューブ状の水分子クラスターを閉じ込めることに成功し、この水分子クラスターは特異な性質をもつことが明らかとなりました。本研究では、この水分子クラスターのプロトン伝導性に関して研究を行いました。マイクロ波空洞共振器摂動法を用いたプロトン伝導度測定では、燃料電池のNafion膜 (NH115) に匹敵するプロトン伝導度 (0.2 S/cm)を得ることに成功しました。緑色がNH115、青色が水分子クラスター、赤色がD2Oに置換したものを示しています。明らかに同位体効果を伴っていることから、プロトン伝導であることが分かります。高いプロトン伝導性を示すNafion膜は、–SO3H基が –(CF2CF2)n– のフッ素系高分子に連結されて、加湿すると非常に酸性度の強いプロトン伝導膜ができます。これにより、プロトン伝導におけるH+ キャリアは非常に高いものになっています。しかし、我々が見出した水分子クラスターは親水性ナノ細孔にH2Oを導入しただけになります。酸性度や塩基性度が強すぎると骨格自身の水素結合が切れて溶解してしまうため、中性付近でH2Oの導入を行っています。ではどうして酸性度も強くない(H+ キャリアが少ない)ナノ細孔に閉じ込められた水分子クラスターが、非常に高いプロトン伝導度をもつのでしょうか?これはまず多孔質骨格に使用されている TMA3– (trimesate) が、共役強塩基でありO原子とH2Oとの強い水素結合が存在することに起因しています。これによって水素結合したH2Oが H+ を離しやすくなり、H+ のキャリアを増やすと共に、解離したHO– 基がプロトンホールメカニズム(proton hole mechanism)として働くようになります。さらに、移動度の観点から水分子クラスターは、親水性官能基であるO原子の規則的な配列によって、周期性を保っており、この周期性によるコヒーレントな効果によって、H+ を素早く移動できると考えられます。メガヘルツ(MHz)領域でのプロトン伝導では、いくつかの水クラスターの中をH+が伝導しますが、ギガヘルツ(GHz)領域(マイクロ波空洞共振器摂動法)では、L欠陥(水素結合間にH+がないもの)やD欠陥(水素結合間にH+が2つ存在するもの)の伝達がプロトン伝導を担っているものと考えられます。

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水分子クラスターの中性子結晶構造解析

原子核密度を測定する単結晶中性子結晶構造解析は、東海村にあるJ-parcなどの中性子発生装置で測定する必要があります。もともと中性子の強度は弱いもので、単結晶構造解析には 1 mm3 以上の結晶を作らなければいけません。我々の水クラスターを含む単結晶系は、水素結合で構築されており、mmサイズの単結晶を作ることが可能となります。X線結晶構造解析では、分子の電子密を散乱して分子構造を得るものですが、単結晶中性子結晶構造解析は分子を構成している原子の原子核密度を散乱するものです。そのため、X線による電子の散乱は、電子が軽いため熱的に激しく散乱されるのに対して、原子核は重いため熱的散乱に対して動きにくい性質をもちます。さらに、X線ではH原子をほとんどみることができませんが、中性子では H+ の散乱断面積が大きく、容易に観測することができます。また、中性子には位相が存在し、H2OのHとOは互いに逆の位相をもち、しかもOはH より2倍散乱断面積の強度が強くなるため、H2Oが自由回転している状態では構造として観測することはできません。私たちはH2Oを閉じ込めた単結晶 (2.0 × 1.5 × 1.0 mm3) について単結晶中性子構造解析を行いました。すると1次元ナノチューブ構造の壁面に構造化されたH2Oを観測しました。しかし、中心付近ではH2Oの原子核密度は観測されず、水ナノチューブ型の構造を形成していることが判明しました。これは外壁の親水性O原子を水素結合の起点として構造化されたH2Oの存在を明らかにしています。特にH2Oが水素結合によって連結された環状構造によって安定化されており、そのH2Oの各原子の温度因子が、外壁の親水性O原子を離れるにつれて大きく振動していることが分かりました。つまり、融解した水ナノチューブでさえ、この外壁の親水性O原子を起点として「ピン止め」効果によって周期的に安定化されているということが明らかとなりました。

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